施設紹介

横浜港

横浜港は1859(安政6)年に開港して以来、165年を超える歴史を有し、常に日本を代表する国際貿易港として日本経済を牽引してきました。横浜港の発展においては関東大震災、第二次世界大戦、戦後の米軍による接収など様々な困難に見舞われてきました。
この発展の間、貿易量の増大、船舶の大型化や荷役革新の進展とともに山下ふ頭、本牧ふ頭、大黒ふ頭、南本牧ふ頭など物流施設は沖合展開するなど、その港湾区域は次第に拡大し、東は川崎港との境界である境運河から、京浜工業地帯の鶴見地区、根岸湾を経て、南は横須賀港の境界である金沢区八景島に達しており、横浜市の面積の約6分の1の面積にあたる区域に広がっています。

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本牧ふ頭

本牧ふ頭は、日本の海外貿易が増大した1960 年代からA、B、C、D 突堤が順次建設され、櫛形(くしがた)の埠頭として整備されました。1968(昭和43) 年に日本における最初のフルコンテナ船が入港して以来、フルコンテナ船はもとより在来船、RO/RO 船など多様な荷役に対応し、横浜港の中心的な埠頭として役割を果たしてきました。
2016(平成28)年には、コンテナターミナルの運営を横浜川崎国際港湾株式会社(YKIP)に移管したことで、それ以降、横浜市港湾局と連携して、 当社の中期経営計画でも掲げているとおり、当社事業の大きな柱として、本牧ふ頭のA突堤を中心とし、ロジスティクスパーク事業を推し進めています。

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大黒ふ頭

大黒ふ頭は、海上出入貨物の増加やコンテナ化等に対応するため、1971(昭和46)年から1990(平成2)年にかけて埋立整備した横浜港初の本格的な島式ふ頭です。
現在、大黒ふ頭は「東日本最大の自動車取扱拠点」としての利用が進んでいます。背後圏には完成自動車の生産拠点を数多く抱えるとともに、自動車専用船の輸出航路もアジア・豪州・北米・アフリカ・南米向けと多岐に渡っており、大黒ふ頭での完成自動車の取扱いが横浜港の国際競争力強化に大きく貢献しています。

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南本牧ふ頭

南本牧ふ頭MC-1、2号は、増大するコンテナ取扱量やコンテナ船の大型化に対応できるふ頭として2001(平成13)年4月に供用開始しました。2015(平成27)年にはMC-3 ターミナルが供用開始し、2020(令和2)年には、横浜川崎国際港湾 (株)(YKIP)によるMC-4 ターミナルが供用開始しました。4ターミナル合わせて日本最大となる岸壁水深16〜18m、22〜24m列対応のコンテナクレーンが設置され、超大型船への対応が可能となっています。

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山下ふ頭

山下ふ頭は、1953(昭和28)年から埋立を開始し、1963(昭和38)年に外貿のための埠頭として完成。昭和30年 40年代の高度成長期の横浜港を支える主力埠頭として重要な役割を果たしました。上屋や倉庫が数多く立地しており、近年では本牧ふ頭など主要埠頭を補完する物流機能を担っています。現在、優れた立地特性を生かし、都心臨海部における新たな賑わい拠点の形成に向けて再開発を進めています。

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出田町ふ頭

出田町ふ頭は1952(昭和27)から1963(昭和38)年にかけて、4バース(岸壁総延長516m)が公共用岸壁として整備されました。

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瑞穂ふ頭

瑞穂ふ頭は1925(大正14)年に着工し、1945(昭和20)年に完成しましたが、戦後は駐留軍により接収されました。現在は13バースの内7バース(総延長1,259m)が在日米陸軍により使用され、通称「ノース・ピア」と呼ばれています。

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山内ふ頭

山内ふ頭は、内国貿易ふ頭として1928(昭和3)年から1932(昭和7)年にかけて整備されました。戦後は東南アジアや中近東方面への航路の船舶にも利用されましたが、横浜港の最奥部、市街地の近くに位置し、船舶の大型化への対応が困難であったため、「みなとみらい21地区」の整備に合わせて1988(昭和63)年より1993(平成5)年にかけて再整備を実施しました。

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金沢木材ふ頭

輸入木材の急増に対処するため、1974(昭和49)年に供用が開始されましたが、1985(昭和60)年から原木の取り扱いはなくなりました。現在は木製品、 金属くず、砂や砂利などの建設用資材の取り扱いが中心となっています。その他、建材も取り扱っています。また、災害対策として2002(平成14)年3 月に 耐震強化が完了しており、災害時には緊急物資輸送に使われます。

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